教育、学び、そして学校 〜 123

公開: 2024年6月9日

更新: 2024年6月9日

注 123. 衆愚政治

現代の民主主義は、政治的な命題を様々な立場から、自由な視点で検討し、その結果をそれぞれの人が発表して議論します。そのような議論の過程を経て、政治的な命題に対する解決案を、いくつかの案に集約し、最後に集約された案の中から、最終的な結論を多くの場合、多数決で選択します。多数決によって選択された案が、全体が選択した案として認められ、全体が選択した案がその社会で実行される結論になります。このことは、結論がいくつかの最終案に集約される議論においても、また、最終的に選択にかけられている案から、最終案を選択する投票においても、その決定に参画する人々が、正しい情報に基づき、それぞれの正しい論理によって正しい結論を導くことが前提になっています。

仮に、その地域またはその社会の構成員に、正しい情報を得ていない人々や、論理的に正しい推論を行えない人々が、一定以上の割合で存在していた場合、議論の結果や投票の結果が、妥当な結果となる可能性は、それらの人々の割合によって左右されます。例えば、妥当な議論を行い、妥当な投票をできる人々が、その社会の人々の半分であれば、その社会における議論と投票の結果が妥当なものである可能性は、50パーセントと言えます。それでは、議論や投票を行う理由はありません。サイコロを振るのと変わらないからです。そのような状況が成り立つ状態を、衆愚政治と呼びます。

民主主義が正しく機能するためには、その社会で、議論や投票に参加するほとんどの人々が、妥当な議論を展開し、妥当な論理に基づいて投票を行わなければならないのです。そのような条件は、容易に成立するものではありません。

参考になる資料